2年半前から飼い始めたハムスターが、昨日亡くなりました。
ハムスターの寿命は、3年生きたら長いほう。
最近は、活発に動き回ることが少なくなっていて、ちょっとずつおばあちゃんになってきたかな、と感じていたところでした。
亡くなる前の夜にエサをあげたとき、よく眠っていて、それがすごく可愛いと写真を撮ったりしてたそうです。
それが、次の日に見てみると全く同じ姿勢だったので、おかしいと思って触ってみたら、もう亡くなっていたんですね。
目次
心の準備ができないくらい、突然のお別れ
突然のことだったので、娘も息子も号泣でした。
とくに、娘の悲しみはものすごいものがありました。飼い始めたのは娘で、一番可愛がっていたから、当然ですね。
病気だったわけでもなく、静かに逝ってしまったので、突然の喪失感と悲しみが襲ってきました。
ずっと泣き続けて、最後は亡骸と一緒に寝てました。彼女なりのお別れ。
朝起きてくると、心の整理ができたのか、泣くことはありませんでした。
でも、学校から帰ってきて、亡骸を庭に埋めてあげて、またひとしきり泣いたそうです。
失った悲しみの後に、子どもたちは何を得るのか
ぼくとしては、ハムスターが亡くなったことも悲しかったけど、子どもたちの悲しんでいる姿を見るのが、より辛くて、泣けてきました。
『こんなに悲しい思いをするんなら、最初から飼わなければ良かったんじゃ…?』と感じたくらい。
『生き死にを体験することで、命の大切さが分かる』とか、よく言われる。
流した涙の分だけ、愛していた分だけ、その大切さが分かると言うことなのか。
大人の言葉で置き換えたなら、そうかも知れないけど、子どもが感じたことは何だったんだろう?
そんなことを考えて、泣いている娘をじっと眺めてたら、ある思いが浮かんできました。
感情を味わえるように、そばにいてくれたハムスター
『ああ、この子は大丈夫だ。』
可愛がっていたハムスターとの別れに、思いっきり泣いてた娘。
悲しみに浸る、とよく言われるけど、しっかりと悲しさを表現できていた。
人によっては、我慢したりカッコ悪いって思ったりして、自分の感情を出せないこともある。
でも、娘は思いっきり泣けて、思いっきり愛おしむことができていた。
ぼくと一緒にいるときは、落ち着いて見えるけど、こうやってしっかり感情を出せる子なんだって分かった。
2年半以上もハムスターを育てていく中で、娘の中に感情の種が植わって、お別れの時に芽が出たような感じ。
悲しくて寂しい出来事だったけど、ハムスターがそんな風に寄り添ってくれたんだって思いたい。
これからは、天国で娘を見守ってあげてね。