まだウィスキーの香りが手に残っている気がして、クンクン嗅ぎながらこれを書いている。
東京都某所。知らない街にひっそりとそのお店がある。
きよっさんのお店。やっと訪れることができた。
目次
きよっさんとの邂逅
きよっさんとは、大学1年生の時にご縁があった。長崎県で自動車学校の合宿に行ったときの同部屋だった。3週間の濃密な時間。それからも時々会っていたけど、今回会うのは10年以上ぶりとなる。
きよっさんは、得体の知れない男だ。
(『得体の知れない』という形容詞は、ぼくの中で最上級の敬意を現している)
近頃、ぼくの興味を引く人(特に男性)は、みんな得体の知れない人だと気付いたのだが、きよっさんはその第一号だったんだと思う。とにかくその一挙手一投足がストーリーになる珍しい人だ。そんなきよっさんが、いろんな紆余曲折を経てオープンしたお店。
珈琲とウィスキーを提供してくれる。カウンターで4席。訪れるゲストの時間を大事に大事にするためにそうしている。
きよっさんの所作は、茶道のそれのようだ。全ての動きに意味があって、なんとなくやっていることが全くないように見える。
きよっさんの凄いところは、提供しているのが飲み物や食べ物だけでない、というところ。
そこにいる時間・空間、お店の中にある全てをギュッと一点集中してゲストに渡している。ぼくの意識はそこに彷徨いながら、何か大事なものを取り戻していく。心の底の底のほうまで、スーッと降りて行かせてくれる。
今まで、いろんな素敵なお店はあったけれど、この感覚を覚えたのは初めてだった。
きよっさんと2人、いろんな話をする。順序も論理もなにもない。こんなことがあってね、なんかこの頃こんな風に感じるんですよ。こんな感覚なんです…。感性のまま。
語りの友はウィスキー、オールドボトル。
そんなことをしているうちに、あることを思う。
自分の時間を生きるということ
僕たちは、たくさんの他人の時間を生きている。
学校、仕事、家庭、友人関係…、人と関わる全ての時間、それを円滑に進めるためには自分の時間を上手く他人に交わらせる必要がある。みんな無意識的に、自分の時間を他人の時間と混ぜている。
それをずっとやっていると、あれ?なんかおかしいな、とモヤモヤした感覚になる。
他人の時間で生きる期間が長くなると、ココロに無理がでてきてしまう。
そのままそれをやり過ごしてしまうと、自分が自分でなくなっていく。自分がロストしてしまう。それでももちろん生きていける。でも大事なものはそこにはない。
それをリセットするには、自分だけで過ごす時間を作るしかない。
30分でも、1時間でもいい。何も特別なことをする必要はなくて、静かで、リラックスできる環境を整えられればそれでいい。
(ぼくの場合は、少々の美味しいウィスキーをそばに置いて、ぼおっとする。ぼけーっとするのが今は合っているようだ)
自分の時間に自分をうまく戻せることができれば、次の日からの他人との時間がまた上手く過ごしていける。
そこにはしっかり、彩りを感じることができる。自分の個性を活かしながら進めていける。
きよっさんのお店は、そんなことができるお店だ。
かかりつけのお店を持とう
ぼくはこのところ、『かかりつけのお店』を持つことが人生で重要だ、と感じている。『行きつけ』ではない。
『かかりつけのお店』とは、自分が自分じゃなくなっている時、何かネガティヴな部分が顔を出している時、単純に悩んでいる時…。
そんな状態から、自分自身に立ち戻すことのできるお店のことだ。
美味しい食べ物、素晴らしい雰囲気、仲間と楽しくできる空間…。そういった役割のお店ももちろん必要だ。
でも、世界中の他の誰のためでもなく、自分だけのためのお店が見つかれば、それはそれは豊かになれるんじゃないだろうか。
きよっさんのお店は、間違いなくそんなお店でした。
また、必ず訪れるだろう。そして時間を忘れて語るだろう。
そして最後には、2人でラーメン食べて別れるんだ。