あれは、もう5年以上前になるだろうか。当時受講していたブログレッスンで、ライティングに関する話になっていた。
自分らしさをどうやって表現するのかディスカッションしている時に、講師から「こんなブロガーもいるんですよ。」と教えられたのがフミコフミオさんだった。
ブログ記事を読んでみると、まず改行がなくて読みづらい。読者に分かりやすい文章をを目指すぼくには考えられなかった。そして、ニヒルで軽妙な表現で、サラリーマンの悲哀を面白おかしく書き散らしている感じ。やり切れなさやストレスを書くことで発散させているのだろうか。どこにでもいる、中年サラリーマンなのかな、と最初は感じた。
しかし、そんな気持ちとは裏腹に、一記事目からなぜかグイグイと惹きつけられる自分がいた。書いているのは、どこにでもある日常的な出来事。それでも、文章がどんどん刺さってくる。噛めば噛むほどクセになる珍味のようなブログなのだ。
その後、ぼくは彼のTwitterをフォローし、ほぼ全てのエントリーを読むようになる。彼のファンかと言われたら悩むところだ。例えるなら、クラスにいた嫌なやつだけど、なぜか注目してしまう生徒という感じが近い。そして、彼がものすごい閲覧数を誇るブロガーだと知ったのは、かなり先の話である。
そんなフミコフミオさんが、『神・文章術』という書籍を出したので、即購入した。読了した後に残ったのは、よし、もう一度ブログ書こう。そして自由に。という感情だった。そして、ここ一年ほぼ書かなくなったブログを少しずつ再起動させている。
なぜ再起動できたのか。それは、いくつか共感した部分があり、文章は自分のために書くものだと割り切れるようになったからだ。
著者の主張のなかで、共感したのはざっくりと次の通り。
- 自分らしさ、世界観なんてものは文章を書きながら発見していくものだ。
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文章の読みやすさなんか考えなくてよい。読者に迎合していると個性が潰れる。
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なりふり構わず、自分の書きたいことを書き続けていれば、いつか『自分にしか書けないもの』になってくる。
過去に書いた約600記事は、読者目線を意識して、『役に立つ記事か?』、『読みやすい文章か?』を考えて書いてきたように思う。カラオケで良い点数を出そうとして、思いっきり歌えなかった時と同じだ。
自分の歌いたい歌を、存分に歌えたとき、めっちゃ気持ちよくなる。それが自己満足であっても構わない。文章もそれと同じだ。
だから、これからはブログを書いてもSNSに上げないこともある。拡散されなくても、自分の書きたいことをツラツラと垂れ流していこうと思う。
とりあえずは自己満足のために、そして願わくば自分の世界観を形作るために。
文章、とくにブログを書いている人には読んでもらいたい本である。