おじいちゃんの戦争出征時の遺書・遺髪袋を発見-母の実家で戦争に想いを馳せる

母の実家が丹波市の山奥にある、すぐっち(@sugucchi)です。

久しぶりに、両親と一緒に母の実家まで帰って来ました。

もうね、ザ・ど田舎なんですよ。山の麓にある、築百年くらいの大きなおうち。土間があって、縁側があって、仏壇があって。おまけに納屋まであります。

まさに日本の原風景って感じ。

ここには、伯父さんが1人で住んでいるんだけど、古い書類や本がたくさん残っている。

大日本帝国陸軍の写真集みたいなものもあって、戦前の雰囲気を垣間見ることができる。

歴史好きのぼくにとっては、なんだか宝探しみたいで毎回ワクワクする。

ふと、亡くなった祖父が書いた、額に入った習字を見つけた。

目次

戦争に出征する時の、遺書・遺髪

それには、『至誠挺身』と書いてあった。

自分の身を挺して、誠実であるという意味だろうか。戦争に徴収された頃に書いたものらしい。

ふと、額に入った半紙がすこし透けていて、何かが挟まっていることに気づいた。

そうっと開けてみると、こんなものが出てきた。

『遺書・遺髪』と書かれた封筒だった。

昭和十八年任官、と書いてある。伯父さんに聞くと、満州に出征したらしい。

封筒の中身は空っぽだった。生きて帰ってきたんだから、中身は捨ててしまったと思われる。

中身を見たかったような、見たくなかったような複雑な気分になりながら、写真だけ撮って元に戻しておいた。

一族の連綿とした繋がり

家に帰って、小学生の娘・息子にこの写真を見せてみた。ちょうど終戦記念日の時期だし、勉強になるかなと思って。

すると、子どもたちから、『ひいおじいちゃんが戦争で生きて帰ってこなかったら、おばあちゃんも生まれてなかったし、お父さんもいないから、自分たちもいないよね』と言う言葉が。

すごく何気なく言うから、逆に心に刺さったよ。

当たり前のことなんだけど、言葉に出して言うとすごく現実味を帯びてくる。特に、子どもの純真な心から出た言葉だと。

いい大人のぼくからしたら、当然すぎるくらいだけど、アッと気づかせてくれた言葉でした。

さいごに

伯父さんが住んでるこのお家、伯父さんが死んでしまったら誰も住まなくなってしまう。

とても立派な家だから、なんとかしたいなあ、と感じています。

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