愛娘の卒園式で感じた、愛情とは – 愛は育むものなんだ

先週は、長女の幼稚園の卒園式。
2年間の幼稚園生活にピリオドを打ちました!
こどもの成長って、本当に速いですね。
たくさんのことができるようになって、たくさんのお友達と仲良くなって…。
一緒に暮らしてて、楽しすぎます。


家の裏にある幼稚園、3分もあれば登園できた。それももうおしまい。


まだ誰もいない講堂にて。入園式を見たのがついこの間のようでした。

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ぼくはいっさい心配事はなかったのですが、本当にすくすくと成長してくれて嬉しい。

卒園式で子どもたちが歌う歌は反則ですね(笑)。
不覚にも、涙が出てしまいました。

そして、そんな特別な空間の中で感じたことがあります。

幼稚園卒園式で感じたこと

愛とは最初から備わってるわけではなく、育むもの
正直に言って、長女が産まれてからしばらくは、『親の自覚』はまったく出てこなかった。
男性は、女性と違い自分のお腹大きくなることも、出産で激しい痛みを経験することもないので、当事者意識が薄いのかもしれない。少なくても、ぼくはそう感じていた。

なので、長女が産まれてからしばらくは、「自分は薄情なのかな?」という疑問が消えませんでした。

それから、ずーっと毎日一緒に過ごすようになり、泣いたり笑ったり、怒ったりを共有するうちに自分の中で変化があった。

愛おしいという感情が、自分の中から芽生えてきた。
そう、自分が行動を起こすことによって、愛情というエネルギーが返ってくる。
それを繰り返すことで、愛が育まれていく。

愛読者、『7つの習慣』でもこういう言葉がある。

愛は動詞である。愛という気持ちは、愛という行動の結果にすぎない。
(中略)
主体的な人にとって愛とは動詞である。愛とは具体的な行動である。

産まれて6年経った今では、愛おしすぎて暑苦しいくらいかも知れない(笑)。

行動が先。愛情は後。

これは、子育てに限ったものではないと思う。夫婦でも、友だちでも、仕事でも、なんでも当てはめることができるんだ。

子どもは、神さまからの預かり物
子どもたちが産まれた瞬間から、自分の中に降りてきた考えがこれ。

産まれてきた瞬間から、1人の人間なのであって、決して親の所有物ではない。
たまたま僕とワイフを選んで産まれてきた。それを神様から預かって、社会に送り出してあげることが僕らの役目。

そのために、子どもたちの強みを引き出してあげること。
それを発見するために、色んな経験をさせてあげること。

うちの子どもはこうあらねば…とか、我が家の方針は…、という気持ちは微塵もない。
どれだけ小さくても、『子ども』というカテゴリーではなく、『人間』として接する。
これがぼくの決めたことだ。

卒園式でしっかり成長した娘を見て、それを再確認できた。

まとめ


すぐそこまで迫っている春とともに、卒園する愛娘。

小学校に入って、またどんどん成長していくだろう。

どんなことが起きても、安易にジャッジせず、見守っていきたい。
子どもたちの「強みの芽」が見えるように。

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